その他

プロフィール

はじめまして。まよです。
本日は、私のwebサイトにお越しいただきありがとうございます(^^)

私は接客業歴20年!フルタイムで働く1児の母です。
あるきっかけでwebマーケティングを学び始め、2年後に在宅ワークで月収30万円を目指しています!

基本情報

・まよ
・1983年生まれ(40歳)

仕事は接客業を20年。

店頭に立ち、お客様のお話を聞いて、商品を購入した後のワクワクする未来を一緒に
想像しながら、1人1人のお客様に合った商品のご提案をするお仕事は本当に楽しく、
やりがいを感じています。

そんな接客の仕事が大好きな私がなぜ今こうしてブログを書いているのか。

その理由を少しお話させていただきます。

接客業には楽しさややりがいを感じやすい反面、特有の悩みがあります。

「長期休みが取りにくく、旅行に行く時は半年前から相談」
「接客業しかやってきていない、将来への不安」
「シフト制なので生活リズムが作りにくい」
「収入が上がりにくい業種」

私も長年同じ悩みを抱えていました。

これが理由で辞めたいと思ったことも一度や二度ではありません。

子供が生まれた今

「子供の”やりたい”を全て叶えるための収入」
「子供の学校行事への対応」
「立ち仕事への体力的な不安」

などの不安が差し迫り、長年付きまとった不安と相まって
この働き方を変えなくては!という思いに駆られました。

「働き方を変えたいけど、接客業しかやってきていないし、
このままやり続けるしかないのかな・・・」

漠然とした不安を抱えていたある時、あることがきっかけで「webマーケティング」という働き方を知りました。

そもそも私は最初から接客業がやりたくてこの仕事を始めたわけではありません。
それがなぜ20年間続けることになったのか。

その後どういう経緯でwebマーケティングを学ぶことになったのか。
私の自己紹介も含めて詳しくお話していきたいと思います。

幼少期 ~何不自由ない子供時代~

私は、栃木県の片田舎で育ちました。

建築業で1年中忙しく、あまり家にいた記憶の無い父と、専業主婦の母、
そして3つ上の兄。

父が小さな会社を経営していましたが、特に贅沢ができたというわけではなく、
築年数の古い家を見ては、「お父さんは大工さんなのにどうして自分の家は
ボロなんだろう・・」といつも不思議に思っていました。

教育熱心だったわけではないですが、そろばん、習字、ピアノ、やりたいと言ったことは
何でもやらせてくれた両親。そしていつも私の意志を尊重し、やめたいと言ったらすぐに
辞めさせてくれました。

忙しい父でしたが、毎年1回は旅行に連れて行ってもらったのもよく覚えています。

車で行ける距離がほとんどでしたが、幼少期の思い出は、旅行が大半を占めていると
思います。

習い事に旅行、今思えば贅沢すぎる環境です。この環境が、
私が自分の子供に同じようにしてあげたいと思う原体験だったと思います。

そして、当時は漠然と、自分も大人になったらそうなると考えていました。

 

中学~専門学校時代 そして大事件~人生観の変化~

中学は部活に打ち込んだ3年間。

高校は進学校に通ったにも関わらず、ギターと音楽にハマって大学進学する気ゼロ。

幼少期から自分の好きなように生きてきた私は、その時その時に好きなもの、
やりたいことだけを考えて突き進んできました。
当然両親の理解があってのことですが、子供時代はそれが一生続いていくと
思っていましたし、大人になればなんとかなると漠然と考えていました。

でも私のその甘い考えは、専門学校卒業間近に大きく方向転換せざるを得なくなります。

 

卒業を控えた2月、父の会社が倒産しました。

 

家族を守るため、両親は戦略的に離婚。生まれ育った家も
それ以降帰ることはできなくなったので、思い出の品も写真も、
何もかも手元には残っていません。

専門学校に通うために上京して寮生活をしていた私は、家族が今どうなっているのか、
これからどうなるのかも分からない状況。

1人きりでどうしたら良いのか分からず、「死にたい・・」という思いが頭をよぎることもありました。こんな感情になったのは生まれて初めて。

幼少期から何の不自由も心配事もなく生きてきた私。
辛いことへの耐性が全くないまま、一気にどん底を味わうことになったのです。

それからのことは今でもあまり覚えてないですが、

「ツライ」という感情が少し落ち着いたあと、1つだけハッキリ感じたことがあります。

 

「ついに私にも試練を乗り越える時がきた」

 

その頃24時間テレビを見ていて感銘を受けた私は、

「何かしらの障害を持っている人たちは、体は弱いかもしれないけど心は強いんだな。
神様は強さと弱さを平等に与えているんだなー」と日記に書いていました。

 「私は健康な体で何不自由なく自由に生きてきたから、そろそろ何か試練を与えられるかもしれない」

「自分はかなり恵まれた環境で生きてきて、世の中で起きている辛いことや苦しいことからは離れたところにいる。でもこのままで良いのだろうか。」

本当にそう感じていたのです。

そんな矢先に、父の会社が倒産。

「これからは両親には頼れない。自分のやりたいことは自分自身で
叶えなくては。」

家族の不安もありながらも、そう心に誓った出来事でもありました。

不幸な出来事ではありましたが、今思えば、あのまま親に頼り続ける大人にならなくて本当によかったと心から思えます。

 

20歳~25歳 ~アルバイトで見えたやりたいこと~

就職は表参道などにオシャレ飲食店を持つ外食産業の企業に内定しており、
キラキラした社会人生活を送るはずでした。

そんな未来を描けなくなった私は地元に戻り、
生活費を稼ぐため100円ショップでアルバイトを始めました。
当時はフリーター全盛期。就職せずにアルバイトをする同世代が多かったので、
罪悪感はありませんでした。

バイト経験すらほぼ無かった私は、自分で働いてお金を稼ぐことが楽しくてしかたがなく、
毎日楽しく仕事をしていました。

年齢層も幅広く、女性だけの職場だったのでトラブルも多かったですが、

「楽しく働きたい」
「楽しむには雰囲気が良くないと」
「雰囲気を良くするにはみんなから
孤立しているあの人と打ち解けないと」
「あの人に毎日挨拶しよう」

こんな風に、問題を察知して、自分なりの解決策を導く力には長けていたように感じます。

 

3年バイトして田舎につまらなくなっていた私は、

「少し都会で働けば、定期券を買えるから遊べる範囲も広がる」

「正社員になって両親を安心させなければ」

こんな想いと、100円ショップで雑貨ディスプレイに目覚め、
おしゃれな雑貨屋さんでディスプレイを学びたいと、
働くことに対して目的を持つようになっていました。

次に働いたのは、某有名駅ビルの新規オープンの雑貨屋さん
従業員は4人だけの小さなお店でしたが、何より商品がかわいく
ディスプレイの勉強もできる環境!

学びたいことが多かった私は、成長スピードが早く、あっという間に
副店長を任されるまでになりました。
また、接客に力を入れているディベロッパーの方針で、接客の楽しさを学び、
お客様と話したり、ご提案に喜んで頂ける経験に、何より喜びを感じるようになりました。

25歳~27歳 ~働く意味を理解したきっかけ~

25歳の時、再度転職することになりますが、この会社との出会いが今の私を
大きく作っていくことになります。

アルバイトから入社することになったきっかけは、前職で接客の楽しさを知って
それをもっと突き詰めたいと思ったことでした。

学べる環境も恵まれていて、日々の勉強と実践経験で接客力に磨きをかけ、
すぐに30万円ほどの家具を1人で販売できるほどに成長しました。

 

働く店が大好きだった私は、
「働く環境を良くしたい」
「もっとお客様に来て欲しい」
「自分自身ももっと成長したい」
こんな思いで毎日仕事をしていました。

目的や目標がある仕事というのは本当に充実したもので、あっという間に2年経ち、上司の勧めで社員試験を受けることに。

周りからは合格間違いなしと期待されていましたが、結果不合格。

理由は、私自身が「社員になって活躍するイメージができていない」でした。

その時は社員になることが目的になっていて、実際は自分のやりがいや楽しいことだけを考えていたように思います。

この評価をしてくれた方は、今は大企業のグループ会社の社長に就任している方です。

当時からただならぬオーラをまとった方で、周りの評価に少し天狗になっていた自分を
見透かされたようなこの評価に、悔しい思いをしたと同時に、
「この人を見返したい!」そう強く思い、半年後の試験のために働く姿勢を変える
決心をしました。この経験は本当に大きかったです

「自分の存在が会社にどんな良い影響を与えられるか」

「アルバイトと正社員の違いはなにか」

その半年間は、この疑問と戦いながら日々を過ごしていました。
時には先輩や上司と議論を交わすことで、自分の考えを客観的に聞くことができたり、
ぐるぐるとした考えがまとまっていく経験は貴重で、日を追うごとに頭の中が
クリアになっていくのを感じました。

アルバイトの自分と正社員の先輩や上司、その違いはなんなのか、
毎日が気づきで学びでした。
視点を変えると、日々のルーティンが違ったものに感じられるから不思議です。

そうやって半年間自分と向き合って導きだした答え、それは

「自分の利益だけを考えず、会社や一緒に働くスタッフ、そしてもちろんお客様のためになることは何かを考えて行動し続けること」です。

この経験で初めて、仕事は自分のためだけじゃなく、誰かのためにやるものなんだと実感できました。

これが腑に落ちて自分事として言語化できた時、私は正社員になることができたのです。

もしこのことに気づかずに、あのまま正社員になっていたら、後々店長を経験した時に、
自分本位で、考えを押し付ける店長になっていたかもしれません。

 

28歳~30歳 人事異動で福岡へ
            ~初めての一人暮らし~

 

晴れて正社員になった私は、そのタイミングで福岡の新店オープンのために異動になり、
はじめて一人暮らしを始めます。

「親に頼らずに生きていかなければ」

こう思っていた私にとって、自分の力で仕事で認められ、
親に頼らずに1人暮らしができることが1つ大きな自信につながった出来事でも
ありました。

この頃には両親は再婚して家族の生活も落ち着き、兄も結婚して両親と一緒に
住むことになり、私の心配は1つクリアになっていたので、
時期としても良かったのだと思います。

福岡への転勤は両親の反対もありましたし、私自身不安も大きかったですが、
結果的にこの3年間の経験は、仕事での成長も人間としての成長も感じ、
人生の支えとなる方との出会いもありました。

不安で尻込みするのはもったいない。いざ踏み出してみると新しい出会いや経験が
人生を豊かにしてくれる。

挑戦することの大切さと楽しさに気づけた経験です。
これ以降、私は新しいことに挑戦することにあまり怖さを感じなくなりました。

自分の力で切り開く楽しさを知って、それが自信につながったからかもしれません。

 

30歳~35歳 初めての管理職
      ~スタッフと打ち解けられない日々~

福岡での修行を終えた私は、関東に戻り店長を任されることになりました。

初めてのスタッフで初めての管理職、そして売上規模の大きな店舗
、一筋縄で行くはずがありません。

福岡から来た新米店長が始めから信頼される訳もなく、
スタッフとの関係性には一番苦労しました。店は変わらず営業を続ける中で、
「みんなが1つになっていない」「まだまだ売上もスタッフの力も伸ばせるはずなのに」と感じることが増え、だんだん見えてくる問題点を解決できない
自分にやきもきしていました。

「何か行動しなければ!」

そう思い立った私は、スタッフ全員をランチに誘い、自腹を切って1対1で話す機会を
作りました。
今それをやるとパワハラになりそうですが(笑)

当時はとまどいながらも全員が誘いにのってくれて、1人1人の仕事への想いや希望、
課題、将来の目標などを聞く機会を得ることができました。

そうして全員と話し終わるころには、私のやるべきことは明確になり、それは私本位のものではなく、働くスタッフ全員が望んでいることだと自信を持てるまでになりました。

 

取り組んだことは3つ。

・1人1人のスタッフを理解する(得意不得意)

・輝けるポジションを与えて仕事への意識を上げる

・チームとしてうまくいくように得意同士を組み合わせる

「店長」である自分に自信を持って働きかけることも大切だったと思います。

時間をかけてチームを作り上げ、チームワークとチームでの成功を一番に考えて
行動し続けた結果、スタッフと共に店がどんどんよくなっていくのを感じました。

仕事とは人との関わり。私はこの経験で、自身の「人に寄り添い人を動かす力」に
気づくことができました。
丁寧に対話を重ねると、人には信頼関係が生まれる。

お互いを信じて同じ方向を向くことが、誰かと一緒に目的を達成するために
最も大切なことだと再確認できました。

 

35歳~40歳 ~新店立ち上げと産休~

かつて生活の拠点にしていた地域に新店ができることになり、
新店店長として任されることになりました。

元いた店舗から手塩にかけて育てたスタッフを連れて、新店をオープンさせました。

やるべきことは変わらず、人を大切に育てながら店舗運営することで
店も軌道に乗りました。

この時年齢は35歳。

32歳で結婚してからも仕事一筋で生きてきた私は
気づけば高齢出産と言われる歳になっていました。

子供を持つことに対して見ないふりをしてきましたが、
いよいよ向き合わなければいけない時がきたのです。

これまでいろいろな経験から、「良いと思ったこと」「必要だと思ったこと」には
突き進む性分になっていた私は、年齢も年齢だったので、
躊躇せず不妊治療を決意し、ありがたいことに順調に娘を授かることができました。

仕事では、1つの目標にしていた「次期店長を育てる」という目標を
このタイミングで
叶え、店を任せる人望にも恵まれて、晴れ晴れとした気持ちで
産休に入りました。

今思えば、私はこの時にすでにやり切った症候群。

この時期は、流行り病の影響で普段と違う業務を乗り越え、
自分自身とスタッフの体調管理に神経を尖らせ、
人員が足りなくなる度に休日出勤をし、更に終わりのないクレーム対応などに
疲弊していました。

店長業務は楽しい反面、神経をすり減らすことも多かったのです。

 

産休に入り、店長職を手放すことに対して、正直「やったー!!」という
感覚でした。

育休からの復帰~働くことへの気持ちの変化~

産休中に実感したこと。それは、世間と同じリズムで休めるってありがたい。でした。

仕事にプライドを持っていましたが、接客業は長期休みはまずありません。
今は変わりましたが、有休なんてまだまだ誰も取らずに消えていく時代でした。

お盆も年末年始も仕事で、世間のイベントはいつも他人事。これが普通の感覚でした。

年末年始も休まず働き、帰りの電車の中で年越しをした時は、さすがに
「なんでこんなことしてるんだろう・・・」と感じましたし、
世間の休みは掻きいれ時で多忙な中で、「もう辞めたいな・・・」と思ったことは
一度や二度ではありません。

長期休暇も取りにくい現状。会社規定の結婚休暇で長期休暇をもらった以外は、
2連休以上は取ったことがありませんでした。

 

ところが産休中は夫や家族と一緒に休日を過ごすことができ、
これまで家族を顧みなかったことが悔やまれるほど、幸せで充実した日々を
過ごしました。

 

復帰後は日々の時間の制限は容認されていましたが、やはり連休は取りにくい状況。

周りと休みが合わず、子供を両親や親戚たちに会わせたり、気軽に旅行に行けない環境に、少しずつ疑問が湧いてきていました。

子供を持ったことで、私の中での人生の優先順位が大きく変わったのです。

でも仕事自体は楽しいしやりがいもある。転職の踏ん切りがつかずに
日々が過ぎていきました。

そんな時、「来年の店舗の契約更新は無いかもしれない」突然こんな情報が
耳に入りました。

契約更新をしない=つまり閉店です。

店舗の業績はコロナ渦以降なかなか回復せず厳しい状況。
更にディベロッパーの改装計画に巻き込まれ、店の存続も危ぶまれる状況に。

 

「このままじゃダメだ」瞬時にそう思いました。

 

私が働く店は店舗数も少なく、近隣店舗がありません。

この店が閉店したら、通える店舗は片道2時間の距離。本社は遠方なので、
事業所もないこの地域では私がやれる仕事はない。

店が継続する可能性は0ではありませんでしたが、仕事一筋の人生に
気持ちの面で一旦区切りがついていること、
家族と休みが合わせられる働き方に変えたいと感じていることをふまえて、
ついに転職を決意しました。

転職するにしても、私がやってきたことは販売だけ。
同じ販売職を選んでも休みが取りにくい状況は変わらない。
それでは意味がない。だからと言って、販売以外に特別なスキルもない。

そんなことを考えて悶々とする毎日。どうすれば良いのか分からない中、
日々忙しく過ごしながらも焦っていました。
ある日なんとなくいつものように子育てサイトを見ていると

「在宅ワーク」の文字に目が止まりました。

子育てママの在宅ワークを叶えるオンラインスクールでした。

「リモラボ」との出会い ~将来への希望~

「在宅ワーク」は聞いたことがあるけれど、これまであまり興味が湧いたこともなく、
実際はどんなことをしているのか全くわかりません。

詳しく内容を見ていると、私のように「販売職から在宅ワークを叶えたママさん」や、
「〇ヶ月で旦那の月収を越えた」という事例も。

気になり出した私は、藁にもすがる思いでこのオンラインスクールを調べまくりました。

 

それが、今お世話になっている「リモラボ」です。

 

こうして在宅ワークという働き方を知った私は
「これからやりたいこと」
「叶えたい夢」
「理想の生活
」について深く考え、

「これらを叶えられるのはwebマーケティングしかない」という結論に至りました。

webの世界は完全未経験、むしろ苦手意識の強い分野でしたが、
しれば知るほど奥が深くておもしろく、webを使って顧客の悩みを解決するプロセスは、
店舗運営や接客の工程にも共通点があります。

仕事とは人との関わり。接客業でもwebの世界でも一緒だったのです。

 

私が子供時代に両親にそうしてもらったように、子供のやりたいことを
全て叶えてあげたい。
子供が小学生になった時、世間のお休みに合わせて旅行に
連れて行ってあげたい。

 

この想いで今webマーケティングを学んでいます。

本業をやりながらの挑戦なので、乗り越える壁も多いです。

 

私はこの挑戦を成功させて、同じように接客業特有の悩みを抱える人たちの
希望になりたいと思っています。

「接客業は楽しいけれど、漠然とした不安が常に付きまとう」

こんな想いにも寄り添えたらと思っています。

 

ここまでご覧いただきありがとうございました。